赤塚院長著書紹介

Essay“無菌病室の人びと”赤塚祝子著(集英社)

 専門医会の前会計幹事である赤塚祝子先生が平成5年の3月に秘めたる文才を発揮し立派な本を出版されました.血液学を専攻し20年間にわたり白血病と闘ってきた著者が多忙な毎日の中で思い出に残った患者さんとのエピソードを綴ったエッセイ集です.悲しい結末が多かった中で,病気に打ち勝ってたくましく生きる人間像をユーモアを交えて軽快なテンポで書き上げた傑作です.診断や治療についても正確に記録 されており,血液学を気楽に学びたい会員の臨床にも役立ちます.これから隔月このほんの一部をご紹介していきたいと思います.おかげ様でこの本はよく売れて,ついに文庫本の仲間入りをしました.赤塚先生も有名作家並みになったようです.本の値段も1,300円から460円と安くなりましたので是非買って上げて下さい。
(小林祥泰)
(販売先)


モグリの仲間”        東京都・赤塚医院 赤塚祝子

 「おい、オレの友達なんだけれど、下血しているっていうんだ。診てやってくれる?」
 突然の電話が、大学時代の同級生だったB君からかかってきた。ちょうど血液外来をやり始めた一番忙しい時間帯で、外来のざわめきの中、ボソボソしゃべる彼の声を聞き取るのはなかなか難しかった。それに、十数年も音沙汰なかったというのに、昨日会ったばかりのように話し始め、こちらの都合は全くかまわないというのも、相変わらず彼らしかった。紳士の多かった同級生の中では、B君は傍若無人で男っぽく、私はひそかに好みのタイプだと思っていた。もちろん何事もなく、卒業と同時に私は大学を離れて、都内の病院の研修医となったので、以来会うこともなかったのである。
「で、友達って、どういう友達なの?」
「モグリの仲間なんだ」
「モグリ? 何かヤバイことやってるの?」
「ばか! 違うよ。スキューバ・ダイビングだよ。その仲間で、Yってヤツなんだけど、家があんたの病院の近くだって言うんだ」
 B君は、母校の泌尿器科の講師をしている。昔ほ確か陸上部の選手だった。陸の上にいた人が何で海の中で潜りをやるのだろうという疑問が、チラッと頭をよぎったが、山積みになっているカルテを見て、そんな質問をしている暇はない、と思い返した。
「スキューバ・ダイビングなんて、結構なご身分ね!」
 皮肉をひとつぶちかまし、Y氏に「何も食べずに」午後来院するよう、伝えてほしいと頼んで、電話を切った。
 午後3時、必死になって70人の外来患者さんたちの診察をやり終えた私の前に現れたY氏は、なるほどモグリをやるだけのことはあって、逞しい身体つき、精悍な顔立ちの若いなかなか佳い男だった。ただ、顔色は真っ青で、専門家が一目見れば、身体の血液の量は半分以下と分かった。
 Y氏には、結婚間もないかわいい奥さんが付き添っていた。さすがに奥さんは不安そうだった。
「Yさん、かなり貧血がひどいようですので、入院した方がよいでしょう。その前に、検査をします。車椅子に乗って下さい」
 我こそスポーツマンなり、といった感じの体育会的人間には、多少物事をオーバーに進めないと埒があかないことを、私は経験で知っていた。果たせるかな、Y氏ほ猛然と反抗した。
「えぇー! オレ、歩いてきたんですよ。車椅子なんて、みっともないジャン。イヤですよ」
 しかたがない。ゆっくり歩いて、内視鏡室へ連れていく。奥さんが申し訳なさそうに頭を下げた。
 さらに驚いたことには、いよいよ胃カメラを飲む間際になって、Y氏はとんでもないことを言い出した。
「オレ、さっきチャーハンを食べちゃったけど、いいのかなあ?」
「B先生から、何も食べずに病院へ行くようにと言われたでしょ?」
「そりゃあそうだけど、つい、腹が減っちまったもんだから」
 私ほ唖然とした。なんなんだ、こいつは! 下血をしているというのに、お粥ならまだしも、チャーハンを食べるなんて! 全く、図体がでかい分、子供より始末が悪い。
 そこへ来院時に採った血液検査の報告が届いた。ヘモグロビン1デシリットル中5.1グラム(正常の男性なら14グラム以上)、予想以上にひどいものだった。彼の血液の量は、健康な人の3分の1しかない状態で、普通なら、ちょっと動いただけでフーフー肩で息をしているところである。
 早速、奥さんに入院の手続きをしに行ってもらった。何せ検査前にチャーハンという男だ、このまま帰宅させたら、取り返しがつかなくなる恐れがあった。
 1時間ほど、内視鏡室のベッドの上に、右を下にして横になっていてもらい、チャーハンが胃から出ていくのを待つ。私は心配だった。得てしてこういう若い男性に限って、検査を始めると、胃カメラを引っこ抜いたり噛んだりして、新車一台分の値段のものをぶっ壊すことが多い。
意外だったが、Y氏ほおとなしく、されるままになっていた。「即、入院!」という宣告が、彼の抵抗しようという気持を萎えさせていたのかもしれない。
 下血の原因は、予想通り、胃のまん中にできたでっかい潰瘍だった。ただ、もう出血は治まっていたので、手術の必要はなく、内科的治療で大丈夫と思われた。
 あとになって知ったのだが、ダイバーというのはY氏のようなタイプがごく普通なのだった。B君が語ってくれた仲間の「武勇伝」の中には、60メートルの深さまでお魚を追いかけていったあげく、自分がどんな危険な状態であるのかを忘れて、7メートルで緊急停止をせずに浮上し、立派な潜水病になって、3日間生死の境を彷徨った0氏の話とか、とても美しい若い女性のバディ(ダイビングの際、ペアを組んで潜る相手のこと)の存在は海に入った瞬間にどこかへ飛んでいってしまい、一人でお魚を追うことに没頭していたM氏に至っては、陸に上がったとたんに、その美女から絶交を宣言されたことなど、なかなか面白いものがあった。そして、宴会ともなると狂喜乱舞、カリブの海賊もかくやと思われるシーンが展開されるのだそうだ。
 Y氏は3週間入院し、鉄剤の点滴、抗潰瘍剤の投与と食事療法で、すっかりよくなった。しかし、その間というもの、次々にお見舞いに訪れる海賊どもの監視で、ナースたちと私は気の休まる暇がなかった。何しろ、お見舞いに持ってくるのが、キムチやスイカといった病人にはよくないものばかり。理由は簡単だった。
「だって、アイツの好物なんだもの」
 ダイバーの一人が、にっこり笑いながらそう言った。何を考えているんだ、コイツらは!
「とんでもない! 没収します!」
 私は高らかに宣言した。
「あなたのモグリの仲間って、いったいどういう神経をしているの?」
 Y氏の経過報告のついでに、私はB君に問い質した。
「アイツらにゃー、神経なんてないよ。でも、本当にありがとう。今後とも、よろしく頼むよ」
 B君は、平然と答えた。
 その言葉通り、次から次へと彼の仲間が検診を受けにやってきた。中年にさしかかった今、体力には自信があるはずのダイバーたちにも、陰りが見えてきたのだろう。ある人は糖尿病のなりかけだったし、軽い高血圧の人や十二指腸潰瘍に悩んでいる男もいた。
バッカスも真っ青の酒宴を繰り広げる海賊たちが、このような病気持ちだったなんて、私は裏切られた思いだった。海賊は、ラム酒片手に、逞しい腕と強い心で、7つの海を制覇するものではなかったか。幼い頃夢見ていた素敵な海賊のイメージほ、すっかり地に落ちた。でも、一人ひとりの海賊は、付き合ってみるとなかなか味のある人ばかりだった。
 彼等ダイバーの誘惑に乗って、私はダイビングのライセンスを取った。雪がチラホラ降る真冬の海での実習は、拷問以外の何ものでもなかった。総量20キログラム以上の重たい装具を付けて、真鶴岬のゴロタ石の間を歩いた時には、何でこんな苦しい思いをしなくちゃならないの、と涙が出てきたが、めでたくライセンスを貰ってしまえば、「私って、結構体力があるじゃない!」と自画自賛するのだから、ノーテンキとしか言いようがない。ただ、この体験で、ダイビングというのは、確かに真っ当な神経ではやれるものでほないと実感した。
 私がダイバーの仲間入りをしたお祝いだといって、B君がパーティーを開いてくれた時のことである。何とその席に、あのY氏が一升瓶を抱えてやってきた。退院後、まだ半年しか経っていない。
「1年間は、お酒を控えましょうね」私は、そう彼に警告したはずだった。忘れてしまったのか、私が睨んでも、どこ吹く風といった調子で、皆にお酒を注いで回っている。私は飲むこともならず、ただただY氏の監視役に徹することにした。B君はいざ知らず、私はモグリのドクターではない。れっきとした血液の専門家である。受け持った患者さんには、責任を持たなければならないのだ。
 海の中にいると、すべての嫌なことを忘れ、非日常の世界に遊ぶことができる。陸上選手だったB君が求めていたのも、温かい海の懐で、ゆっくりと寛ぐ、こんな至福の時間を味わいたいと思ったからかもしれない。
 ともかく私は、B君のおかげで、医療とは関係のない、ちょっと普通でないダイバーたちという友達を得ることができた。顧問ドクターとして、健康管理に気を配り、彼等がいつまでも強い海賊たちのままであってほしいと願っている。

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Essay「臓器移植に思うこと」           
LEE(集英社)1999年11月号 掲載
臓器移植に思うこと

あなたはドナーになることができますか?
骨髄移植患者に多く接してきた血液内科医の赤塚先生が、医師として、ひとりの女性として思いを綴ってくださいました。

赤塚祝子先生
あかつか・のりこ
 1947年 千葉県生まれ
 医学博士
 日本内科学会認定内科専門医
 日本血液学会認定血液指導医
 横浜市立市民病院検査科部長を経て
 現在、赤塚医院院長
 著書に「無菌病室の人びと」(集英社文庫)
    「神様のくれたもうひとつの命」(集英社)など。

平成14年2月20日、「明るく乗りきる男と女の更年期」
講談社 現代新書より出版中、定価660円(税別)
赤塚祝子著

『肉親の「死」は理性では対処できないものです』

 血液内科医として24年間勤務し、300通以上の死亡診断書をお出しした経験があっても、身内の「死」に立ち会った時は、ひとりの女性としての対応しかできませんでした。
 母は病院のベッドの上で臨終を迎え、その2ヵ月後、父が自宅で突然亡くなったのですが、医療従事者であったにもかかわらず、両親は生前、「解剖だけはされたくない」と申しておりました。ふたりとも高齢だったため、結局そのままお棺に入ることができ、両親の遺志に逆らわずにすんで、ホッとしたものでした。
 患者さんたちの「死」には、冷静に向き合えたのに、身内だと情が絡んで、理性では対処できないのだ、と私は初めて知ったのでした。ただ、親の体が荼毘に付され、お骨となったのを見た時には、「ああ、もったいない。何か使えた臓器があったかもしれないのに」と、心の中で思ったのも事実です。
 以前から、私自身は自分の死後、どうされようとかまわないと考えていました。病理解剖でも、医学生たちへの献体でも、私の体が役立つのなら、どうぞお使いください、と遺言するつもりです。両親の死をきっかけに、私は臓器移植のドナーになりたいと思うようになりました。でも、ダメでした。というのは、34歳の時、B型急性肝炎(完治)になった既往があるので、ドナーとしては不適格なのだそうです。おまけに、間い合わせた移植ネットワークの方から、「50歳以上の方は、心臓の提供者にはなれません」と言われ、「じゃあ、せめて角膜だけでも」と、募る思いで聞くと、「B型肝炎の方は、どれも無理です」と、申しわけなさそうに拒否されてしまいました。
電話をそっと切り、私は急に老け込んだ気持ちになりました。
 数年前、受け持った血液疾患の患者さんたちが、骨髄移植で救われたのを見て、ドナー登録を試みましたが、その時もダメでした。意思はあっても移植のドナーになれない私の体は、やっぱり死後、献体などで役立てていただくしかないようです。移埴のドナーとなるのは他人への究極のプレゼントなのに、贈り主になれないのって、すごく悲しいものです。
 オーストラリアで肝臓移植を受けた日本人の女性にお目にかかった時、一番つらいのは経済的な問題だと涙ながらにおっしゃっていました。外国で移植を受けるには、莫大な費用と時間(待機を含めて)がかかります。移植でしか助からない病気の患者さんたちが、何千人も臓器提供を待っている今、やっと始まった国内での臓器移植が頓挫することなく進むには、意思表示カードの普及が大切です。
 あなたがもし若くて健康で、血液感染症(B型・C型肝炎、梅毒、HIVなど)の既往がなかったら、一度意思表示カードを手に取って、ごらんになってください。べつに、すぐに記入しなくてもいいのです。
 私はまだカードを捨てていません。もしかして、治癒した肝炎の人なら、ドナーになれる日が来るかもしれないのですから。
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